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そろそろ仕事を辞めたい

”あと3年で仕事を辞めたい”と何年も前から思い続けている男の日記

目先の面倒から逃げる話

日記

年末年始は実家に戻っていた。帰省はいつも新幹線移動であり混雑するので移動だけで疲れる。
そこで見かけるおなじみの光景の一つが、エレベータの順番待ちである。
今年もベビーカーを押したママさん達がエレベーターの前に長い行列を作っていた。
順番が来たママさん達はエレベーターにベビーカーをそのまま乗せていく。最近のベビーカーは大きく一回あたり1~2台しか乗らない。非常に効率が悪そう。
ベビーカーに乗っている子供の大きさはまちまちだが、ベビーカーを折りたためばもっと沢山乗れそうなのだが、誰もそうしようとしない。
そうしないのか、できないのかは不明だが、もっとなんとかならないのかと思って眺めている。
「ベビーカーでエレベーター待ちする事が年末の恒例行事であり楽しい」と思っている人はいないだろう。
なんでもかんでも効率を求めるわけではないが、明らかに無駄なことは削減した方が良いと思う。
多分、並んでいる当事者のママさん達が一番無駄を感じているだろう。これは良くないと。
誰かが「ベビーカーを折りたたんで乗りましょう」と声をかければ多少改善されることも。
しかし誰も言わない。わかっているが面倒なことに関わるくらいなら無駄を許容する方を選択している。

実家の母親がもう大分衰えている。
少年時代の記憶を思い出すと、気ぜわしくも色々とテキパキとこなしていた。その母親の面影はもうない。
効率という言葉とは無縁なほど、一つの動作が緩慢である。
加齢による衰えなので仕方ないとは思うものの、危なっかしくってしかたない。
特に電子機器への理解が全く追いついていない。
少しでも動かなくなると量販店に相談に行っているみたいだが、故障修理ではなく新品を買わされたりするようだ。
正月でも開いている店が多いなど便利な世の中になった一方で、理解に乏しい老人に高額の物を売りつけざるを得ない量販店の余裕の無さも心配だ。
ノルマが大変なのも分かるが、老人という取りやすいところから取るなんて失望を禁じ得ない。
ねずみ小僧のように富裕層から奪うことに生きがいを感じる程度の心の余裕があってもよいのだが。

私が実家に戻り、このような危険から母親を守ってやればよいのだろう。
あるいは、私が遠隔地からでもある程度の労力をかければ、母親が数十年働いて掛け続けた結果である年金の減りを少なくすることは可能である。
しかし、そのための労力は非常に大きく、私の生活のリズムを大幅に崩すことを意味する。それほど今の世の中は情報の少ない者にとって危険が多い。
年老いた母親の面倒をみるということは、誰かを犠牲にすることと同義である。
しかし私はまだ自分を犠牲にする覚悟ができていない。
目先の面倒さを言い訳にしてそれをしない。エレベーターを待つママさん達と同じである。

帰省を家族で楽しんだ喜びと疲労をにじませているママさん達を見て、それを思い出した。
ベビーカーに乗っている子どもたちよ、心に余裕のある大人に育ってくれ。