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そろそろ仕事を辞めたい

”あと3年で仕事を辞めたい”と何年も前から思い続けている男の日記

麻婆麺@源来酒家

日記

今月も担々麺の時期がやってきた。

昨日は午後から神保町で打合せがあったので、少し早目に神保町へ行き昼食と計画する。

普段はラーメン系は食べないので、評判の良い店はほとんど知らない。なので食べログとrettyを頼りにしている。調べた結果、麻婆麺なるものがあるということでチャンレジすることにした。

午前中の打合せが長引いて疲れていたし、花粉症なのか鼻水が出っぱなし。仕事の進捗も思わしくなく、イライラしている。辛党ではないが辛いものを食べて汗をドバっとかいて発散したかった。そんな事を考えながら歩を進めていると源来酒家の看板を見つける。

着席しメニューを見ると、「麻婆麺」がない。でも担々麺はある。15時なのでランチが終了したのかもしれない。でも似たようなものだからよいかと思い、担々麺セットを注文。しばらく店内の様子を観察していたところ、持ち帰りの客がひっきりなしにくる。人気店なんだなと感心しながら担々麺を待つ。出てきた担々麺を食べるが別に辛くない。少しでも辛ければ、顔にドバドバ汗をかく体質だが、そこまで汗もかかなかった。味が悪いということではないが、イライラを解消することが出来なかったという意味ではちょっと期待はずれだった。

会計をすまし、店を出て振り返ると、「王家私菜」の文字。

あれ?店を間違った?

目的の「源来酒家」の看板はまだ3mほど向こうにある。まさか中華料理店が隣同士になっているとは。。。

徒然草第52段に出てくる「石清水八幡宮にお参りしようとして、手前の高良神社を本宮と勘違いして帰ってきた」話を700年後に繰り返すとは。人間とは何百年経っても変わらないものだ。

とはいえ、今回は完全なる自らの失態だ。

この歳になって花粉症というものを初めて経験している。目が痒いとか鼻水が流れることなど大して負担ではないが、鼻がつまるせいで睡眠も浅くなっているのかも。このため、日中仕事に集中できないのかもしれない。甘く見ていたがちゃんと対策を講じないといけないと感じた2月の担々麺だった。

 

 

 

みをつくし料理帖、NHKでドラマ化を思う

日記

人気時代小説家・高田郁先生の大ヒットシリーズ「みをつくし料理帖」がNHKで5月からドラマ化するようだ。

以前、「みをつくし料理帖」はテレビ朝日で放送されていた。

”下がり眉”が特徴である主人公・澪を、カッコいい上がり眉の北川景子さんが演じ、澪の幼馴染で絶世の美女である遊女・あさひ太夫を貫地谷しほりさんが演じるという、配役が逆だろうと、全「みをつくし料理帖」ファンが突っ込んでいたという話もあるとかないとか。ただ、内容はマズマズ面白かった記憶がある。原作ファンも楽しみにしていたようで、視聴率10%と時代劇としてはなかなかの数字を記録した。

そして、今回のNHK版。主演は黒木華さん。さすがNHK、分かっている。

みをつくし料理帖ファンは今頃すごく楽しみにしているだろうと容易に推測できる。出演者はまだ発表されていないが、あさひ太夫を誰が演じるのかが楽しみである。

それにしても高田郁先生の作品は「銀二貫」に続き、NHKドラマ化2つめ。林遺都さんと松岡茉優さんが主演。これもなかなか面白かった。NHKはしっかり作ってくれるだけに今回も期待できそう。

高田先生は現在「あきない世傳 金と銀」を展開中。こちらも江戸時代で女性商人の話でNHKが好きそうな感じ。NHK御用作家になる日も近いか。

「金と銀」で思い出したが、福本伸行先生の漫画が原作の「銀と金」も只今絶賛ドラマ放送中。毎週楽しみにしているが、こちらはNHKでは難しいだろう。

 

忍び足で歩く

日記

カツカツ・ドンドンと音をたてながら歩く人がいる。

街中ではそうでもないが、駅の階段などの時は顕著に音が聞こえてくる。

私はこのような歩き方をしている人を見ると、みっともないと感じる。

「音をたてて歩いてはいけない」と教わったわけではないのだが、なぜかそう感じる。

理由も無いのに嫌だと感じるということは、生理的に合わないということだろう。

このような人と同じと思われるのも嫌なので、音をなるべくたてないように歩いてみた。これがなかなかおもしろい。アスファルト上は問題なく無音で歩ける。階段も簡単である。しかし安物のラバーみたいな床だと、キュッキュと音がする。普段意識しない地面の材質も色々なるのだなと感心した。

帰宅時も夜道を無音で歩いていたところ、前を歩いていた女性が突如駆け出した。

冷静に考えると、暗い夜道で後ろから忍び足で近づいてくる男がいる。そらそうだろうな。その反応は正しい。

みっともないと思っていた大きな音を出して歩く人間より下の変質者扱いされてしまった。なかなか難しいものである。

前向きな頻尿

日記

朝起きると口の中が粘ついている。なので、朝起きたら水を飲む

ワイシャツに袖を通すと乾燥した肌と擦れて少しヒリヒリする。なので、出かける前に水を飲む。

暖房のよく効いた通勤電車から降りると喉が渇く。なので、駅についたら水を飲む。

打合せで喋りまくっていたら、口の中が乾燥する。なので、打合せ中にも水を飲む。

この季節は静電気が帯電しやすい。パチッと来たら身体が乾燥している証拠。なので、水を飲む。

水ばかり飲んでいたら、トイレが近くなる。

勢い良く出すと身体の水分が抜けた感じになる。なので、水を飲む。

もはや飲んでも飲んでも追いつかないくらい身体が乾燥している。どうやったら若い頃の瑞々しい肉体に戻れるのだろうか。

そんな事を思いながら絶えず水分補給をしているが、最近は少し変わってきた。

人間は排出行為に快感を感じるというが、小便を出すのが快感になってきた。

今までは、身体の中に水分を保持するために飲んでいたが、今や「出すために飲む」となっている。この行為が良いのか悪いのかは不明だが、快感を伴うのだから簡単には辞められない。回数が増えると小便の色も薄くなってくる。まっ透明なものが出た日には小躍りするくらい嬉しい。「今日もよく飲んだ」と。

しかし、あまりにも回数が多いとデメリットもあるようだ。水分以外にも栄養素が色々出るらしい。健康のためにしているのではないが、健康を害するのも嫌なので、一応塩分だけはとるようにしている。スナック類とかで。

もちろん他人には勧めないので、自己責任でどうぞ。

 

エスカレーターで歩く人

日記

私は、「エスカレーターで歩く人」である。

一応、歩くのは「急いでいる時、且つ片側が空いている時」と決めている、何が何でも歩くわけではない。歩けないと判断した時は階段を登るようにしている。

私なりに適度にマナーを守っているつもりだが、最近「エスカレーターで歩かない派」が、勢いをつけてきていて、それも許されない雰囲気になっている。SNSで反対派の投稿がされていて複雑な思いでそれを見ていた。

「歩くように設計されていない」とか「危険だ」とか「止まって乗るのがマナーだ」が彼らの主張だ。

否定はしないが、疑問も感じる。

「歩くように設計されていない」には、何故歩いても大丈夫なように設計しないのか?と思う。一時期は確かに片側を空けて歩くようにとアナウンスをしていたはず。それなのに歩く事を考慮した設計になっていない。もし、途中から基準が変わったのであれば、もっと周知を徹底するべきだ。「歩かないように!」という案内はほとんど見たこと無い。勝手に基準を変えておいて周知もしないまま「歩くことは考慮していない」と言われてもこちら側には罪はないのでは?メーカーの怠慢である。

「止まって乗るのがマナーだ」だが、いつからマナーになったのか。繰り返すが以前はOKだったはずなのに。

「危険だ」というのは、階段も一緒。上り下りの方向を無視して勢い良く下ってくる方が危険だと思うが。

とはいえ、止まっている人にぶつかったり、止まっている人の後ろについて舌打ちをしてみたり、乱暴に歩いている人が多いのも事実。言いたくなる気持ちもわからないでもない。

しかし、私はマナーを上記のようになるべく守って歩くようにしているので、なんとか勘弁してもらえないだろうか。

と、書いたところで、私が言っていることは喫煙派の言い訳と似ている事に気がついた。肩身の狭い思いをしていたんだなと少し心情がわかる気もした。

しかし、私は嫌煙家なので、マナーの悪い喫煙派は許さないが。

大人の階段登る

日記

「年齢は顔に出る」と言われるが、私の顔にも今までの人生がにじみ出ているのだろうか。大して苦労をした感覚はないが、振り返れば大病もしたし、少額だが借金もあったし、4年留年による世代ズレが起き同世代が回りに居ない孤独感もあった。それなりの経験をしたつもりなので、それがちゃんと顔に反映されていると嬉しい。

その一方で、若い頃からおっさんに見られてきた。小学生の時には子供料金で電車に乗ると毎回止められ、中学生の時には親の使いでタバコや酒を買いに行っても何も言われずに、20代の頃には取引先に上長と間違われた。30代の頃から少しずつ見た目と実年齢のギャップが少なくなってきたと感じできて、これからは実年齢より若く見える時代が来るものだと思っていた。しかし若く見えるのは人生経験が乏しいと思われるのであれば複雑である。

見た目はともかく、中身はしっかりと大人になっておきたい。街を歩いてもマナーやルールが守れない年配の人もおり、とても”大人”であるとは言い難い人間が多い。

そのあたりは私はきっちりしている。信号は守るし、相手に対して無作法な事はしないようにしている。後はちょっとした仕草で”大人”を磨き上げていきたい。

池波正太郎の「大人の作法」という本は、大人の所作振る舞いについて書かれている。社会人にとって参考になることも多いだろう。

そこでこんな記述がある。「ビールは、一口ずつグラスに注いで飲むのが良い」。

ビールは、ジョッキに入れっぱなしにしていると、炭酸が抜けるし温くなるので美味しくない。ジョッキではなく瓶で持ってきてもらって、一口で飲む量だけ注いで飲むことでいつまでも美味しく楽しむ事ができる。こういう本質的な事を知っていてこそ大人だ。というわけだ。

私はビールは飲まないが、炭酸飲料は飲むので気持ちがわかるので実践してみた。

炭酸飲料を一口ずつ飲むようにしてみたが、これが大変美味い。炭酸が抜ける間もなく飲むので実に理にかなっている。

そこで気がついたのが、一口ずつ飲むのに通常の大きさのコップでは大きすぎる。そこで小さめのコップを探したところ、知り合いから貰って使っていない江戸切子のコップが見つかった。割るともったいないので観賞用として置いていたが、やっと出番がきた感じである。私が大人になるまで待っていてくれたのだろう。

江戸切子のグラスに炭酸飲料を一口分入れる。非常に綺麗である。数秒眺めた後に一気にあおる。美味い。炭酸飲料を飲むという行為が、一気に贅沢なものになった気がする。

”大人”として少し階段を登れた気がする。

 

 

 

俵星玄蕃 再ブーム

日記

浪曲という芸能がある。

私も大好きだが、TVでは年に数回、NHKで「東西浪曲特選」という番組をやるくらいで、民放では浪曲の”ろ”の字もない。

昭和の前半は浪曲ブームがあったそうだが、今は浪曲師をTVやニュースで見ることは全く無い。再ブームが起きるために浪曲界唯一の希望だった国本武春師匠は志半ばで他界した。古い世代には知名度のあった二葉百合子師匠や歌謡浪曲の第一人者だった真山一郎師匠も引退した。浪曲界は高齢世代の浪曲師が高齢世代のファンを満足させるためだけのものになり、後は消えていくだけのカウントダウンに入ったと思っていた。

そんなところにきて、なぜか最近、若手演歌歌手が浪曲を歌ってくれている。

三山ひろし山内惠介三波春夫師匠リスペクトのようだ。ともに俵星玄蕃を演じている。

かつて私が三波春夫師匠の俵星玄蕃に衝撃を受けて浪曲好きになったように、これら若手演歌歌手のファンが歌謡浪曲を聞いて浪曲を知り、本当の浪曲へも目を向けてくれるようになれば幸甚である。

しかしせっかくの浪曲復興のチャンスに水を指すようで気が引けるが、どの歌手もあまり上手くない。正確にはメロディー部分は上手いが、セリフ部分が上手くない。「浪曲は歌ではなく、セリフに節を乗せたもの」という点からすれば、メロディー部分は正直どうでも良かったりもする。物語を聞かせるように演技が必要なのである。

youtubeには下記歌手の映像がある。

三波春夫三山ひろし山内惠介、島津亜矢、柳亭市馬徳永ゆうき

どれでも好きな人から聞いてみて欲しい。もちろん三波春夫師匠がダントツでおすすめだ。その次は柳亭市馬さんかな。

因みに、坂本冬美さんは歌謡浪曲「まぶたの母」を演っている。これはよく出来ているので必聴である。